寺地信義さんを思う

偉大な人だった。職業人としても、社会人としても、父親としても・・・。私なんか、とても足元にも及ばないし、あまりに偉大過ぎて、目標とすることも出来なかったくらいだ。最初にお会いしたのは、2003年5月16日。彼がセミナー講師として上京した折の懇親会に、友人の紹介でご一緒させていただいた。私にとっては「雲の上の人」との初対面に、たいへん緊張したのを覚えている。

その後、彼が主催する「元氣の素」メーリングリストに加えていただき、毎週メールで彼の活躍ぶりを送っていただいた。このメーリングリストで、彼は職業人として、社会人として、父親としてどうあるべきか、どう生きるべきかの強烈なメッセージをわれわれ読者に送り続けた。パワーに溢れたそのメールは、こちらが落ち込んでいるときには開くのがためらわれるほどだった。最近そのメールからすっかりパワーが無くなって、検査のために入院したとあり、早く良くなってほしいと祈っていた矢先の訃報だった。昨年4月に横浜で行われたマンション学会で、彼の方からニコニコと「元気でやってる?」と声をかけてくださったのが最後となった。

私より5歳年上の52歳。人生を終えるには、あまりにも早過ぎる。3年前に独立開業して事務所を立上げ、これからと言う時に、さぞ無念だったことと思う。残されたご家族の心中をお察しすると、何と声をかけたらよいのか言葉もない。しかし、何事に対しても常に全力で向き合っていた彼にとっては、決して悔いのない人生だったとも思う。彼が送り続けたメッセージは、いつまでもわれわれの心の中で輝きを失うことはないだろう。

久しぶりに彼のホームページを訪れた。その「プロフィール」で、彼が「バイブル」としている蔵書の中に、柴田昌治氏の「なぜ会社は変われないのか」三部作があった。この本は私もたまたま書店で見つけて気に入り、ちょうど読んでいたところで、2005/10/19付の今日の話題「管理組合を意識改革するにはこうしろ!」は、実はこの三部作の組織改革論に影響を受けて一気に書き上げたものだ。ひょっとすると私がそこで書いたことは、彼がこの本を読んで感じたことの一部かもしれない。彼の足元に少しだけ近づけたような気がした。最後まで生きるパワーを送り続けてくれた彼に、合掌。

寺地信義さんを思う” に対して1件のコメントがあります。

  1. たけ より:

    実際、お会いしたの数回ですが、数少ない、現場&経験からの視点でしかもわかりやく、情熱的な人でしたね。
    個人的のはあまり深く接することもありませんでしたが、インフラ設備問題(電気、水道等)については、同意していただいた、数すくない建築士でした。
    柴田昌治氏の「なぜ会社は変われないのか」ですか、、、何故、彼の中に共感できるのものがあったのかわかりました。
    私自身サラリーマン時代、この本発刊時にこの本素材に自分達の企業内風土を変えようと数人で取り組んだことがあります。
    「マンション」を通じて、知り合い、あの人を偲ぶなら、その中でいる限り、いつでも接していけるものだと思います。

    マンション住めば、管理運営に関心よせ前向きに参画することは、「悪いこと?良いこと?」誰でも答えれる質問ですね。
    では、それは「良いこと?当たり前のこと?」
    組織はこの「当たり前」までいく継続活動が必要です。
    故人はこの「当たり前」が本当に「当たり前」であり続けた人でした。

  2. なおこ より:

    先日、寺地さんの葬儀に行ってまいりました。
    朝の飛行機はぎりぎりの時間だったのですが、参列者が多かったので、お焼香の最後の方に滑り込むことができました。横浜からだと遠方なので出席を迷っていましたが、行かないと行方不明で大切な人を亡くしてしまったような気持ちになってしまいそうだったからです。

    小さな花を棺に入れる儀式があって、棺の中に小さくなった寺地さんを見て、やっと涙が出て現実のことと受け止められました。
    お顔が、ほほの肉が痩せてしまっていたけれど、安らかに微笑んでいるようで、本当に静かに眠っているようでした。祭壇の写真が、まだ髪が黒くてふっくらした顔の頃で、くったくなく笑っているのを見て、彼が猛スピードで駆けていった歳月の大きさを感じました。
    奥様が、「お父さん、ありがとう」と顔を撫でながら何度も繰り返していらっしゃいました。寺地さんを蔭で支えるのは大変なことだったでしょうに、それ以上の優しさで奥様に接していらっしゃったのでしょうね。

    合掌

    寺地さんとお別れしてきてお顔を拝見し、天国に行かれたと確信できたし、思いも残さずあとの人に託して往かれたと、気持ちを整理することができました。

    それにしても、寺地さんのメーリングリストに参加されていた人は寺地さんとのダイレクトな繋がりだったので他の人にはわからないのだと気がつきました。寺地さんの感性に響いた人たちの隠れネットワークがメーリングリストと共に消滅してしまうのはもったいないと思うのは私だけでしょうか?

  3. いち より:

    私も葬儀へ行こうか迷いましたが、行きませんでした。
    なおこさんの「行方不明で大切な人を亡くしてしまったような気持ち」がなんとなくわかるように思えます。
    おそらく告別式の時間に、私は娘の中学で娘たちの踊る「よさこいソーラン」を体育館の中で観ていました。
    そして、流れる涙を抑えることができませんでした。
    奥様の参加する「よさこいソーラン」のチームのカメラマンであった彼を想像し、この時間におそらく告別式が行われているであろうと想像し、体育館の中が暗かったのを幸いに涙しました。
    彼と最後に会ったのは、8月に札幌に帰省した際、桑園駅の脇の居酒屋での会食でした。
    あの時、既に彼の体は病魔に冒されていたのかと思うと、なんともやりきれない思いです。

    彼の感性に共感する人たちのネットワークの継続、それはとてもすばらしいことだと思います。

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